2011年8月4日木曜日

20110804 クイノー分類を調べたりしました。

っ振り返ってみると、日曜日以降、ぐったりしていた様子ですね。
月・火・水と。
今日で木。

で、月曜日は確かにその通り。
火曜日以降は、休み癖が出たってヤツだ。
いや、月曜日よりはマシになっただけで、体調が優れなかったのは間違いないぞ。
いやいや、違うぞ。
体調は継続して悪かった。
倦怠感と微熱に四苦八苦しているところに持って来て、頭痛・頭重感が覆いかぶさって来た。
なんか身体はあちこち痛いし、NSAIDSに騙されてその日暮らしを続けていた無能者の自責の念で圧し潰されそうだった?

ちょっと辛すぎて「治療から5日になるから、併用のことも気にしなくていいかな」と思ってロキソニンに手を出してしまった。
一度、クスリに手を出してしまったら、もう後戻りが出来ない。
宛らロキソニン中毒のように、チェーンですよ、もう。
10回分の頓服で処方して貰ったのに、
レギュラーで服用してますか。

ロキソニンでも、時折、頭重感がでる。
が、倦怠感も抜けて来たし、ロキソニンで微熱もコントロールのうちだし、まあまあのQOLを確保できてきた。
病人らしく、ふせていたのがベットに座ってゴソゴソできる様になった。
しばらくはパルスオキシメーターも96、97%とかだったから、それよりもちょいと呼吸は楽になってる。
うんうん。
アリムタは、おおむね5日間くらいシンドイのだっ と確認できた。


画像診断のレポートを、それぞれ確認すると、しっかりと進んでいるのが良くわかった。
今年に入ってから2回のアバスチン+カルボプラチン+タキソール以降、アバスチン単剤でのメンテナンスもほぼ無効だった様子。
つまり約半年、無治療みたいなもんで野放図に成長なすったようだ。

加えて、仕事から完全に離れてしまった事で、自分が何をやっているのか何者なのか、アイデンティティをほぼ喪失しているのは、自分にとって相当なストレスになった。
免疫なんか、たぶん探しても、身体のどこにも働いていなかったんじゃなかろうか。
いまも、さほど変わらない状態が続いているんだから、あんまり治療はいい結果を産まないのかも知れない。

たぶん生きている間、贅沢は出来ないが、なんとなく食い繋げるだけの収入が確保されているのは、病気を持ちながら家族の心配をしなくてはならない状態の身の上には、とてもありがたい。
勤務していた会社は、お世辞にもよいところとは言えなかったが、こうなるちょっと前に福利厚生であの保険を導入してくれていたのは、私にとって奇跡だった。
収入の確保に心を砕かなくて良いのはありがたいんだが。
そう、それは感謝しなくっちゃ。

失業保険は、もらえないんだよ。
失業保険をもらうのって「働ける健康な状態で仕事につけていない人」たちだから、就業不能で保険給付を受けるのは、失業保険をもらうことの出来ない状態だからなのさ。
失業保険をもらえるのは、この保険の給付資格を喪失する事なのさ。
何のために延々と失業保険を払っていたのかしら。
年金もそうなんだけどね。

うん。保険は生きてないと給付されないので、生き続けないと家族を養えない。
それが目的。
一時金でがっさり貰えたらいいのに(笑)

ゆわゆる、定年後の無趣味で、社内での肩書きでしか自分を語れない、名刺を持っていないと何も出来ないような「濡れ落ち葉のおっさん」状態で放り投げられていたのかな。
退屈な一日も、徐々に加速度をあげて過ぎるから、宛ら中国の新幹線のように駆け抜けて弾け飛ぶのです。
そういうイメージで、まだ進行してますよ。


1月末に、眼症状が出た時点で、小さいのができてたんだろうなと、今更ながら思うところ。
MRIを受けたのが早すぎたのか、いずれにしても見つけてもらえなかった、見つからなかったってコトだ。
いちおう、アリムタは脳メタにもそこそこ効果があるようなので、治療以降に起こった今の頭痛は、薬効のお陰と思うことにする。
主治医は、不在なので相談はできていないが、治療の合間でγナイフを受けに行くことになるんじゃないかな。
あれはあれで、そのあとが当分、頭が痛いんだよなぁ。


担当医とのおつきあいに、なんか困っている。
どこにでもいる、グループ内で良くデキルヤツと抱き合わせで「一緒にこいつも面倒見てください。すいません。」って教室から派遣されてっていう、そんな匂いがする。
気のせいだと、思うようにする。

がん拠点病院とは云うてもね。
いいの、うちから一番近いんだから。