2011年1月15日土曜日

outside world  /  Propaganda    「OPEN MY EYES」

有名人が死んでても、これまでは、たいして感慨なんかなかったんだが。
最近は、流石に、知っているというか、「あ、死んだんだ」(え?)って思うことが増えてきた。
知っている人が死んでいる。(それでも、え?ってかんじでしょ)
ま、追いついたというか、年を取ったという実感を確認したってだけの話。

1月4日に、ミック・カーンがお亡くなりになったそうだ。


教授のツイートで知りましたが。
(いまツイートを追いかけて貼りつけようと思ったけど、見つけられんかった)
引用で、デイヴィッドのフェイスブックからの引用ツイートがあったり。
デイヴィッドはフェイスブックはやってるけど、ツイッターはやってないっていう理解でいいのかな?
って思った。
教授と、仲が悪いんではなくって、公的に使っているツールが違うのに違いない。ということにする。
(私も、フェイスブックはアカをもってるが、ファエイスブックには嫌悪感。茂木さんもなんかいってたな。)

ミック・カーン
彼は当然ながら、たいしてわたしとは親しくはなかったが、JAPANというグループのとても特徴のあるベーシストではあった。

スタイルも、そうだったし。
(あのころ眉毛のない人はしらなかったよ。こどもだったから)
あの、うごうごと生きてるようなベースは、好きですよ。
ああいうのは、なかなか。
うん、ああ、だいすき。

ガンで、かなりの闘病なさっておられたそうです。
以前、ミックの話を聞いたときには、もちょっとややこしい病気のように記憶していたんだが。
記憶違いなのか、4日に知ったのは肺癌で という話だった。

人ごとではない?
いやいや、大概の事は間違いなく完全に人ごとだわ。


高校の頃の友達で、JAPANが好きってのが居て。
で、ミック・カーンのファーストアルバムを持ってきたよな。
ああ、そうだった。


いつの間にかCDが主流になっていて。
昔から持っていたLPを録音したカセットや、雑多にエアチェックしたモノを、あるときに、それこそ一度に廃棄してしまって、今でも、それをとてつもなく後悔して思い返すことが多い。
ああ、転勤と引越しさえなければ、ゴミだらけの生活が送られるのに。

若い頃は、LPは何とか買えても、CDプレイヤーはなかなか買えなかったんだよな。
今後はCDなのよねん って思いつつもなかなか手は出ないよね。
先輩に、勇気を出して買ったCDをカセットにダビングしてもらったり。
地道に、ソフトから増やしていってたな。

今の若い人達は、これで満足しているのかどうなのか知らないんだけど。
私が若かった頃(嘲笑)には、自分の聞きたい音楽はTVにもFMにもあんまりのっかってこなかった。
話が変わるけど、ボカロって(わら)
や、うちの娘のことなんだが。
ボカロって、アーティストを好きってのとはきっと違うって、なんか思うんだが、そう思うのが違うんだろか。
ま、どでもいいんだが。

あのころは、自分の持っているソフト(なーんて言葉は知らなかった)がとても大事だったと思う。

シーケンシャルに大事にしている、好きな楽曲が多くあるとね、コレクション対象になるんだけど。
それも数が増えてくると、何を持っていて、何を持っていないのかが判らなくなってくる。
無駄に時間を過ごすと、センシティブではなくなるのよ、たぶん。

ミック・カーンのファーストアルバムを探しに密林さんをのぞいてみた。
在庫なし。
諭吉さんの半身で売ってくれるところが、 あった。

欲しいけど、あんまり親族にバックのない付加価値は、このタイミングでは意味が無い。
どうせ、アマゾンは手配したけど、なかったんだからしょうがない、頼んだおめぇが悪いんだべってキャンセルしてくるのは分かっているんだが、通常のものを発注してみた。
手に入るといいな。

そんな、懐古調にスイッチが入って、密林を探索してZTT関連の持ってないのを物色。
今日は、PropagandaとThe art of noiseの聞いたことないのが届いていて、ゴキゲンさん。

思い返せば、私の耳は子供さんなので、初めて坂本龍一がサンストかなんかでThe art of noiseを紹介したときに、どう聞いていいかわからなかった記憶がある。
あゝ、あとは戸川 純な。
あのころ、パンクに近いのは無理だったな。

玉姫様も、レーダーマンも、ヤプーズの曲も欲しいんだ。
思い出した。
好きだった子が、ピストルズとか好きだったな。
懐かしいな。

たぶん、思春期に聞いてたのが一番なのね。


てなこと言っても。
に続くのは、
リキんでも、だ。 
あ、いなかっぺ大将 大嫌いだった。
何が、にゃんぱらりんだ。


若い頃にレンタルで借りたLP版の「Talking Heads」の「Stop making sense」と、暗黒の大量廃棄後に入手したCDの「Stop making sense」では楽曲のテイクが違う。
小さな劇場でタイミングよく「Stop making sense」が上映されたのを観に行くことができたけど。
うん、たしかにあの大きなスーツは、どうもこうもって感じではあった。

いやいや、そうではない。
たとえば、坂本龍一がツアーで各地での公演が終わった。そのすぐ後には、iTunesにアップして販売している。
各公演でテイクが違うのは当然だけど、そこに出かけた人は嬉しいんだろうけど、なんかなぁ。

私は、レンタルのLPで聴いた「Burning down the house」が好きだったし、「Girl Friend is Better」に流れていく感じもだ。
「Psycho Killer」も、気がついたら、あれこれ聴いて、どれがどのテイクか分からなくなった。

数を打ってはいけない。 と、思うことはある。

今は技術が、ですね、価値に追いついていないのか追いぬいてしまっているのかわかりませんが、イコールにはなってないんでしょうね。
やりたいことは、多分なんでも出来るんだけど、価値のつけ方がおかしいいというか、手に入れる方も、そもそもの価値を見出していなくて、送り手だけがやりたい放題なんではないかと思われ。
え、それはグルーポンのお節のことではありません。
あれには、価値そのものがなかったからね。

昔、LPで12inchiアルバムなんてのがあった頃は、子供が繋ぎあわせたみたいなツマラナイミックスがいっぱいありましたよね。
それからすると、今日の「outside world/Propaganda」は聞いていて気持ちいい。
既知のものを繋ぎあわせても、時間つぶしにしかならないから、12inchi Mixって無くなったんだろうね。
一枚のアルバムには、こんなにテイクがあったんだって思わせる。
この、トレヴァー・ホーンがやってますって感じがいいです。

密林で、海外に発注しているのが「Propaganda」のファーストアルバムのスペシャルなんです。
こやつも、LPとCDでテイクが違っていたのが悲しかったのです。
このえれい違うテイクを一枚にまとめるという、それは快挙なのか暴挙なのか。

そのような商品がある聞いて、頼んではみました。
「A Secret Wish: 25th Anniversary Deluxe Edition」
そりゃデラックスな。
え、まだUKから届いてません。
はは、あれから25年も経ってますか。


今年は、寒いです。
昨年の夏は暑かったものの、私は病棟でノホホン(?)でした。
同じように、くそくそ寒い中を恐縮ですが、病棟で過ごすことになっちゃう感じでお送りいたします。
検査値のページ、更新しました。
半月で、またCEAは、すると上がってます。
ひと月すると、さらに元に戻るや知らん。
だめよね。

もともと、癌持ちの免疫はズタボロで、そうそう思うように成るわけがない。
はなから免疫がシャンとしているなら、癌は発症しなかったろう。
そこを勘違いするから、イレッサ使って訴訟して。
死ぬ順番なのに。

読んでるブログで書いてはるのもあったけど、がん患者は大概が年寄りで、知識もない患者に輪をかけて馬鹿な医者(確かに専門外の医者は馬鹿に等しい)が発する患者の理解に届かないムンテラを聞かされて、さあさあ、正しい判断なんて、そもそも、その段でさせるほうが間違っていると私は思う。人は強欲で馬鹿だから、その段で判断しても、顔無しが腹一杯になっているモードだ。
人のことは言えないが、生産性のない社会保障だ。
ドブに小銭を落としても
茶ポーン(  Д )⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒...。....。コロコロ
て言いよるって塩野義のおっさんがよく言ってた。
こいつに札束使っても響かんってのが枕だけどね。
いや、まして、訴訟をしているのは患者本人じゃないしな。


でぷでぷなのか ?
ではないんだよなぁ。
とか、思いもって。
でも、夜、寝られないんです。
なんか、お薬イパーイで朝来たりするアルヨ。

「おとうさん、さいきん、眠れていないんでしょう?」
って、どんな娘や。
もうちょっとまともなCM作れたらよかったのに。

死ぬ人は何しても死ぬように世の中なってる。
順番やし。
そでないことを、それを証明するには、要潤くんにたのまな な。
あとはタイミングだけや。


朝が来るから、おやすみなさい。