2009年4月6日月曜日

PTA 勝手に思ったこと (2009-04-06)

4月です。
このあたりの桜は、ほぼ満開です。 良い季節になりました。


今日、上の子が中学、下の子が小学校に入学しました。
同じ日のほぼ同時刻に、同じエリアで入学式があるわけですから、
保護者もどちらかに振り分けられるわけです。
公立なんですから、ずらせないかなとは思いますが、
こんなもんでしょう。


私は、中学の入学式に。
この子が、小学校の入学式のときには、
仕事で、神戸の生田神社(何仕事?)にいました。
下の子の、小学校の入学式にはお父さんの姿がとても多かったそうですが、
中学のそれでは、ほどほど。
連れだっている仲良し同士の母親以外では、
式の最中に最も私語が多いのは夫婦で来ている輩です。


ゆとり。


式が終わって、保護者のみが教室に集まり、
PTAの役員を決めるのだそうです。
35人ばかりに対して10人。
 ふーん。。。多い。
昨年までは、半数で、放棄する役員で行事が破たんしたらしく、
増員したんだと。
そこで、すでに問題があるのは間違いない。


地元の新聞のコラムで、PTAの在り様について、しばらくシリーズコラムがありました。
本来のあるべき姿からかけ離れているPTAの組織、
その運営に関して、いろんな角度から解説があって、
とても興味深いコラムでした。


うちの奥さんも、ふむふむと思って見ていたようなので、
反響も多かったのだろうと思います。


何かで役員をやるのは、ぜんぜん構わないのですが、
その仕事内容に疑問があるから、貧乏くじだと思うのです。


任意参加で、仕事の余裕のある時にとか、云うのはお為ごかしです。
狭量な人間は、私がこんなに頑張っているのに、
なんであんたが出て来ないの!という器の小ささを露呈するための場所になっています。


そういう経験があったのでしょうか。
あるパパが、「これは強制参加ですか?」と来ました。
はぁ、そうですね。
私も無意味だと思う行事も多いので、
参加自体にどうして拒否権を持てないのか疑問でした。


このたびの役員選出を任された女性は、
1年間だけの委員さんなので困って上部役員を呼び出します。
このあたりから、水かけ論的な、
とても有意義なようで、
とても無駄な時間が過ぎていきます。


曰く


「我が家は、共働きで、私は午前の1時、2時になる。
家内は19時20時になり、
家計を維持するのに身体的負担はいっぱいいっぱいだ」


「できることがあれば、参加するのにやぶさかではないが、
小学校では、それでは許してくれないような対応があって、
知り合いは、精神的に対応できないなどの
診断書を提出しても、その訴追を免れなかった」


云々かんぬん。
長い。話が長い。
その水掛論の出口を、どこに設定しているんだろうか。


うちは、夜中まで働いても、女房を共働きにさせないといけない。か、
うちは、目一杯働いて、その稼ぎを余暇に十分使いたいから、
そんな行事に参加している暇はない。


そういうことなんでしょうか。


呼ばれた上部役員は、
この学校の生徒である保護者はすべからく参加する会である。
と、会則にあるんです。
今まで、任意参加だからと参加しなかった方はありませんでした。
PTAとして年間、生徒会に100万近くの寄付を行っていて、
参加されないと、不整合が起こってしまいます。


上部役員は、会計担当というのもあってか、
お金のことが一番大事みたいだった。

暗に、お宅のお子さんが不利益受けますよ。。。って言っていた。
脅迫だ。
そして、昨年、破たんして、
役員人数の負担を倍増させるという、
根本から間違った対応をしているにもかかわらず、


「パパが不安に思うような、強制的な参加や、
不参加に対して委員の間で問題が起こったというようなことは、
私の耳には入ってません」


お収まの耳は、ちいちゃなお耳。


自分の子供の給食費さえ払わない人間がいるのに、
全体に対してお金使ってね、、
て言うようなPTA会費が徴収出来ているんだろうか?


寄付は、ほかの機関が肩代わりして学校が徴収するべきだ。
学校のことにしか使わないんだから。
別団体を作るべきだ。


それで、PTAは正味の任意機関にして、
お金から解放すればいい。


生徒の保護者も、地域の人も分け隔てなく参加できる組織にすればいい。


ひまにしているフリーなお年寄りは、
隣近所にうじゃうじゃいる。
なんでそういう人の人生に火をつけないんだろう。


そうしたら、本当に子供のことを考えることができる人が、
子供のためを思って、自分の意志でボランティアを行える。


と、思っていたら、
その揉めているパパの奥さんが仲良しのママ友達と、


「こんだけ(上部役員に)言わせたら、
出んでも文句は言われんから今のうちに役員やっとく~」
みたいなことを言っている。


で、いざ立候補を募る段に、するすると、
クラスPTA委員のサブみたいなところに納まっている。


ふーん。 こういうのをプロ市民とか、クレーマーとか言うんだ、、、と納得。
彼のパパに議論の出口なんか必要ないのだと思った。


してして、役員が立候補とくじ引きを踏まえ、
決まった後、ようやく教室に入れた子供たち。
小一時間待っていた子供は、何を聞いて、何をみたんでしょう。


ボランティアは素晴らしいですが、半強制は無理です。
上部役員も、
「補欠の方は、転勤される役員さんがいなかったり運が良かったら、
回ってきませんよ」とか。


もっと、委員さんは、貧乏くじで強制なんだってことを踏まえた上で、、
さらに本質を見つめるべきだな。


「子供のためになっているとは思えない行事」の為の「ボランティア」

2009年4月3日金曜日

傷病手当給付金給付期間満了 (2009-04-03)

ざーっというと、二年前に右の上葉を切りました。
それから二年がたったところです。

この一月で、傷病手当が切れちゃいました。
収入なくなるなぁ。。

自分的には、たぶん手当の期限が切れるなぁ、、、と思っていたのですが、あれは申請してから給付までに時間がかかるので。
その給付までの期間中、まだ私は幸いなことに会社に所属しているのですが、
その会社の人事の方が、現在の休職状況に関してお話がしたいと、面談に来られました。

私は、体調は本当のところ、ぼちぼち。でも、現職の上司と仕事をしたくないのが相当の理由に、復職を勝手に延長しています。

何、言われるんだろう。

いやいや、このご時世。
ふつう、この状態で身分が保障されること自体奇跡的。

ともあれ、人事担当者は、顔が見られてよかった。。。へ?
本来なら一年の休職期間を超えると復帰はないけど、本部長の決裁で一年延期になったよ~
よかったね~みたいな感じで。。。
なんでだろう、本部長、たいして仲良くないのに。。。

うん、でもよかった。
期間のことは失念してた。

そのついでで、
まだ傷病手当が8月まで出るからね~
って、資料を残して帰って行った。

それは、おかしいなぁ。
たぶん、そろそろ終わりだと思っていたのに。
でも、書類をそろえて送ってくれるのは会社なので、
私の勘違いで、会社の言うことのほうが、たぶん正しいさって、思いますよね。

次の週に、保険組合から届いたのは、
1月中旬以降の傷病手当は期間満了につき切り捨て御免。の通知だった。

同じ傷病では、1年と6か月の給付期間。

復職したら、停止と聞いていたな。。。
半年ほど復職して、再度、休職した時に給付がもらえたから、、、おかしいのかな?
別物なのかな?とか勘違いした。

人事の担当者も、対応には色々と困ったらしい。
結局、審査がケースバイケースの個別対応だからだ。
基準があいまい。基準があって、無い。
いや、なくて後付けで、ぐにゃぐにゃ言うらしい。

私は、切除後に、モノはないが再発予防で化学療法を受け、その後はモノに対する治療はないが、経過観察を半年で、鉱脈を掘り当てた。

逆に、モノがあっても、1年とか1年半とか治療を続けながらでも勤務実績があれば、再度入院して休職しても、傷病手当の対象になるそうだ。

うーん。そうか。何が基準?
こっちは無治療なのに。

私は、半年では短いので、再発ではなく、治癒していなかったと言われた。
逆に、治ってなくても、仕事ができていれば対象だという。
私は、月々の血液検査を先延ばして、さらに1年先で手遅れになって(笑)いればさらに1年半か、生きている間に、手当はもらえたらしい。
早期発見なんてしないほうがマシらしい。

病理検査して、モノが違うといわれない限りは、、、再発?
そもそも再発という言葉がおかしいのは、なんとなくわかる。

しかし、これの審査をしているのが、病名と病気の関連のわかってない事務官風情なのだから、少し納得がいかなかった。
「私は、医者じゃありませんからわかりません」っていう奴が窓口だと、余計に腹も立つ。

結局復職しても、ターミナルな方は治療に入る期間をコントロールするとか申請を工夫しないと、傷病手当はもらえないらしいです。
まぁ、それ取得を目標にやっているわけじゃないんですけどね。
でも、お伺いで、保険組合に電話したり、保険審査官に電話したり、
病気になったのが悪いみたいな対応ですもんね。
好きで、病人はやってないんですけど、世間様の、まぁ公務員とかの類は、ほんとうに他人の福祉を考えている人のする仕事じゃないのかも。


ともあれ、2年生存率をクリアしました。
エンハンスのCTを撮って、昨年年頭に転移があると言われていたリンパ節には、
しこりがあるけれど、サイズが小さくてなんとも言えなくなっていると。
なんとも中途半端な、コメント。
これをもってPETを考えていたのですが、あんまりメリットないよ~って。
小さくても、映らないし。。。

でも、肺野に広がっていたものは、今はないのだし、落ち着いてます。

私に、5年生存は20%です。
取り残したかも知れないので、と教えてくれた執刀医は、最寄りのがん治療の拠点に異動になって、顔を見ることもなくなってよかったです。
そんな拠点で、何をするんでしょう?
不幸な患者を増やすことのないように、下っ端でいて欲しいものです。

まぁ、なんにせよ順調なのが不思議です。

傷病手当が無くなったので、仕事をしないといけないの、よね。
保険をかけている補償金の給付額。
それで正味、生活可能か?


節約、節制。
すべてはそれにかかっているのでした。

2009年3月15日日曜日

PC replace (2009-03-15)

ちょうど一週間前の日曜日の午後にオーダーして、火曜日の午前に新しいPCが届きました。
データのお引っ越しやら、初期の面倒くさいのが大体終わったようです。
replace 完了かと。
最近は、高い金を払わせてソフトを買わせて引っ越しを簡単にさせてくれるそうです。
知識を持たないことは、今の情勢を見ても悪でしょう。


チップが2セットだと。
セットですから、物によっては4セットのもあるんですと。
でたらめですが、さくさくと、ここまでは気持ちよく早いです。


前のは、5年以上も前の「じゃぱネット」で廉価で扱っているTOSHIBAのノートですから、それからのシフトは大きなイノベーションの到来かと。。


24インチのディスプレイは、最初は広かったのですが、今では、へへへへへ。
地デジチューナー2バンド搭載も、さっきまでコントロールソフがいなくなって、
再インストールするまで2日使えませんでした。いいことばかりはありゃしない~♪



メモリ4G。
すごいなぁ。
HD、、1TB。
ひえーっっ


しんじられへん。


VGC-LV71JBG




私が自腹で初めて買ったPCはAppleパフォーマ5220



























あの頃は高かった。
考えてみれば、今の前のPCもTVチューナーが入っているので、
TV受信状態が私にとっては不可欠らしい。
それでTVを観ることは殆ど無いのに。。。ねぇ。


あのころのHDでなんぼ? Performa 5220
500MBらしいぞ。
メモリで64MBがMAXらしい。たぶん32ぐらいが関の山みたいな感じで増設していたなぁ。


自分で使うのはMACだったけど、
子供が大きくなってきて、
小学校でPCの授業があったりするので、
一台、安物のWindowsを手に入れました。
それを、5年くらいは使ったので、
切り替えてみたのです。


少し前に、ブルーレイのHDDレコーダーをやはり、価格.comを元に入手したのです。
それは、手持ちのHDビデオのソースをブルーレイに変換したかったのですが、、いやいや、それをサーバーに、録画したファイルをLANで繋がっているので、このPCでも観られるのです。
すごいねぇ。(∩´∀`)∩ワーイ

2009年2月17日火曜日

Monjya-Yaki (2009-02-17)

最近、なぜかブームをむかえました。


たこ焼きは、基本的に「明石焼き」様式ですが、
関西風のお好み焼きは、無理です。
家族は、平気らしいですが、、、私はもう、まったくダメ。


お好み焼きといえば、通常、広島のお好み焼きことをさして言います。
しかし、以前、もんじゃ焼きがある店に迷い込んでしまい、
郷に入ればゴーで食べてみた。
その店の味付けは、ずいぶん喉が渇く感じで濃かったが、
「ふーん。こんなものか」と、まぁ食べられた。


その記憶だけだが、スーパーなどで「もんじゃ焼きパック」みたいなのを見かけるたび、
また食べてみたいなぁと、なんとはなしに思った。
でも、わが家にはもんじゃ用の「コテ」が無かったので、
縁がないものと諦めておりました。


でもちょこっと、その気になって「コテ」探しを始めてみたのです、、、すぐ見つかると思って。
目論見が外れて、結構、あちこちを探す羽目になりました。

どうでも西日本では、もんじゃ用の「コテ」は、普及率がかなり低そうです。
あれは、失くさない限り壊れないだろうし、成長とともに買い換えるような需要も無いでしょうからねぇ。

関東の人が異動して来ても、きっと持参されているんでしょうねぇ。
しかし、ひと月あまりの捜索により、ついに発見。家族分をゲットするに至りました。


 実は、百均に普通にあるのでした。
 それに気がついたときはかなりショックだったなぁ。


とりあえず最初は、
市販の「もんじゃ焼きパック」を使って、
作ってみました。


あら、簡単。
こんな感じで良いのかい、、、ちょっと拍子抜けだけど、いいのかな。
てなことで、次からは具材を揃えて「自家製もんじゃ」に突入。


簡単で、美味しい。
んで、安上がり。
まとまる。


お好み焼きは、ホットプレートで私が焼きますが、
関西風とは違って、手間とスペースを取るので、一度に何枚も出来ません。
ホットプレート、もう一台あったら早いのに。。と思ったり。
でも、きっとブレーカーが落ちるにちがいない。


もんじゃ焼きは、とりあえず2人前を作って、いっせいにみんなでつつける。
ちょっとずつ、具材が増えたり、素材や細工が工夫されて、
みんなが食べやすい、好みの味付けになってきてます。
長女曰く「毎日でもいい」らしい。


毎日は、さすがにやめたほうがいい。と思う。
でも、しばらく週に一度はやってしまいそう。
いきおい、お好み焼きの焼き方を忘れそうです。


2009年2月10日火曜日

歯車 「閃輝暗点」 (2009-02-10)

あっという間に節分も過ぎて、後厄も終わりました。
早いですねぇ。
一日一日は、もっと早く過ぎています。
いろいろ、頭の中では書いていたのですが、ずいぶんほったらかしで。

ちょうど一年前の今頃は、再発一回目の化学療法のために入院していました。
タキソールとパラプラチン。
自覚症状はきつくないのに、体にはキツイという。。。
効果があれば、きっとよい薬でしたが、効かなかったのよねぇ。
2クールやっただけでしたね。

1クールの様子見て、「後は外来にしましょうね。」と方針が決まって、、、
効果がどうかねぇっって思いながら、外泊して自宅でPCをいじっている時に、それが起こった。

左目の視野の中、真ん中で、ちょうど分厚いガラスブロックが入った様。
黒いような、それで居て光が抜けているような。。。妙な感じ。
そこが、とろけるみたいに、真ん中から下へ向けて垂れて行く様な、渦を巻くような。。
ウルトラQとかウルトラマンのタイトルが、マーブル模様でぐるぐる回っていくような。感じ。

その自分の症状をもとにGoogleで検索すると、、
ふむ「閃輝暗点」というものらしい。
なかなか、真ん中の視野が無い状態でPC作業は難しいのも、よくわかった。

Wikipediaに書いてあるように、時間とともにぐるぐる回転しながら、視野の回りに消えて行く過程を、途中からは少し楽しんだ。
一般に続発するという偏頭痛は、わたしには無かった。
続発する偏頭痛は、とても辛いものだそうだ。
同じように検索していて、芥川龍之介がこの症状で苦しんでいたそうで、それを元に「歯車」という作品を著したとか。
本当かどうかは知らない。そういう作品が本当にあるのかも知らない。
でも、あれは確かに「歯車」みたいだった。

外泊から病院に戻って、MRIをやったら、都合4箇所の脳転移が見つかった。
大きくても6mmだったか。
担当医が、入院時の検査で「MRIもやりましょう」と言っていたのが予約を入れ忘れていたらしい。
あの症状が出てこなかったら、あの入院時にMRIは出来なかったと思う。
その次は、4月に入院したから、、そのタイミングでだったら、どの位腫瘍は大きくなっていたか。

不幸中の幸いというのかも。

治療は、頭全体に放射線を照射して腫瘍を焼くか、ガンマ線を腫瘍の一つ一つに狙い打つか。
4箇所を超える脳転移は、再発の可能性が非常に高いそうだ。
放射線科は全脳照射がお勧めだとか。
若い担当医と、親しくしてくれていた看護師は、全脳照射は認知症状のリスクがあるから
4箇所に対応できるかどうかわからないが、ガンマナイフの方がよいと勧めてくれた。

ガンマナイフは市内に実施施設があった。
これも幸い。ふつうは県内に一つかふたつ。それさえ無い県だってある。
すぐに行ける距離だった。

結局、化学療法が1クール終わって退院と同時に、ガンマナイフを受けるために病院をハシゴする事にになってしまった。

二泊三日で、中日に検査と治療を行う。

これまた貴重な経験でした。
まぁ、またやるかもしれないけど。

最初に、MRIで場所を特定して、そこにガンマ線を照射するんですが、、
場所を固定するためにガイドが要るので、頭を鋼のフレームに固定します。
どうやって固定するかというと、ネジを用います。

ガンマナイフ帰りは、麻呂ではありませんが、おでこに2箇所ネジで空いた穴が出来ます。
後ろ頭にも、2箇所出来てますが、これは髪の毛で隠れるかと。。
麻酔とかちょっと沈静剤ぽいのが入っているので、ネジきりされるときは痛くないです。
終わったら絆創膏を貼ってくれます。
いつかは消えますが、しばらくは残ってましたねぇ。
フレームを着けて、MRIを受けて午前終了。
食事は、午後の治療があるのでフレームを着けたままで。
口の前辺りに横切るフレームがあるし、
鎮静剤が残っていたりするので、食事にはちょっと介助が要る。
で、昼から治療。
たぶん一日に3人か4人くらいかな。

腫瘍のサイズにもよるそうですが、10箇所くらいは対応できるそうな。
結局、そこの脳外でのMRIでは5箇所目が見つかり、全部に治療を受けました。

初めて入院した個人病院の食事は、美味しかったのと、看護師が若くて派手で化粧臭かったのを覚えてます。
そうそう、男のチャラい看護師は使えんと思いました。そんなことが不快に思えるオジサンなのね。

2月3日、節分に1年後のフォローでMRIを受けました。
まだ、レポートは貰ってませんが、10月までにはご新規は出てません。
ただ、脳外が5個目を見つけたのと、全脳照射に対するプレゼンテーションがへぼ過ぎたので、今の放射線科の読影能力を疑って掛かってます。餅は餅屋なんでしょうけど、美味しい餅屋じゃないです。赤福や白い恋人っぽいですね。

とまれ年明けてから、1月、2月とCEAは、横ばいで安定です。
そのほか、大きな問題も無く経過しています。

ただ、ガンマナイフのあと、天気が悪いと頭が痛かったり重かったり、、
もともと頭痛持ちではなかったので、、辛いものですね。